イエス キリスト

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや

浄土宗でよく読まれる
「一紙小消息」に

罪は十悪五逆の者も生ると信じて少罪をも犯さじと思うべし
罪人なお生る 
況や善人をや

とあります。

これを逆にして

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。 しかるを、世のひとつねにいわく、悪人 なお往生す、 いかにいわんや善人をや。 この条、一旦そのいわれあるににたれども、 本願他力の意趣にそむけり。

と歎異抄では言ってるのです。

昔は、歎異抄の文章にえらく感心したんですが、
今は、とらわれの心を持っているのは歎異抄のほうだと思うようになりました。


「一紙小消息」のほうは、
罪人でも生まれるけど、罪は犯さないほうがいいということを言おうとしているのです。

が、
歎異抄のほうは、往生の条件を言っているのです。

他力の意趣ということをいいだして、合っているとか背いているとか
判別をしているわけです。

往生に条件はないのです。
他力なんですから。

なのに、こちらの条件を出しているところが、
とらわれているというのです。

他力ということにとらわれているのです。

ようするに
自力で往生しようと思うものも
他力で往生しようと思うものも

どちらも
差別なく救いとるのが弥陀の本願です。

むしろ、往生しようと努力している人間のほうを
弥陀は可愛い奴と思うかもしれません。

仏にそういう差別心はないでしょうけど。

親鸞という人は、たしかに偉い人ではありますが、
「他力」ということに
とらわれ過ぎたと思います。

で、同じように
とらわれている
浄土真宗系の人は、
「あれは自力の念仏だから劣っている」
とかいいます。

念仏に優劣はないのにね。
と、私は思います。

今の中国の仏教は、
常に念仏唱えてますので、
みんな
極楽往生することでしょう。



[ 2012/07/21 18:42 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)
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